ローマ帝国 Roman Empire 2005 5 13

 領土の拡大を続けたローマ帝国においては、
属州から流入する安価な穀物により、
帝国を支えたイタリアの市民(中小の土地所有者)が没落していったのです。
(現代風に言えば、貿易赤字の拡大でしょうか)。
 あまりにも拡大したローマ帝国は、あまりにも拡大した国境線を守るために、
数多くの軍隊を維持する必要があり、帝国の財政的な負担が大きくなりました。
(現代においても、財政赤字に苦しむ国があります)。
 人間に一生があるように、国家にも一生があります。
それにしても、よく似ていますね。

歴史の一こま scene of history 2005 5 12
 はるか昔、アテネやスパルタという市民社会的な国家がありました。
そうした国家においても、光と闇の部分がありましたが、
やがて、闇の部分が大きくなり、衰退へと向かうのです。
 いつ終わるとも知れない戦争により、市民軍の戦死者が増え、
また、貨幣経済の発展により、理想とされた市民社会にも貧富の格差が拡大したのです。
 こうして、市民社会的な国家を支える「市民」が、没落していったのです。
こうした国家においては、市民が、「市民軍」を形成していましたので、
市民の没落と共に、軍隊を維持できなくなり、やがて、傭兵を用いるようになりました。
 同じようなことは、後に成立したローマ帝国でもありました。
拡大を続けたローマ帝国において、属州から流入する安価な穀物により、
ローマ帝国を支えたイタリアの市民(中小の土地所有者)が没落していったのです。
 また、重装歩兵として従軍した市民は、いつ終わるとも知れない戦争によって、
戦死したり、経済的に困窮するなどして、さらに苦境が重なりました。
 こうして、ローマ帝国は、傭兵に頼るようになりました。
あまりにも拡大したローマ帝国は、あまりにも拡大した国境線を守るために、
数多くの軍隊を維持する必要があり、結果的に、傭兵に対する依存度が高くなりました。
同時に、帝国の財政的な負担が大きくなりました。
 その後、ローマ帝国は、東西に分裂し、
西ローマ帝国では、次第に皇帝の権威や権力が弱体化し、
同時に、帝国を支えていた中小の土地所有者が弱体化し、
大土地所有者に集約されていったのです。
 西暦476年、西ローマ帝国は、傭兵隊の隊長であったオドアケルによって、
皇帝制が廃止され、その帝国の歴史は閉じました。










































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